感心する部分
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感心する部分
ひとりで家にいるとき、DVDは観るがテレビは観ない。そういえば音楽も流さなくなった。ラジオを聴くのも車の中だけだ。
そうやって、何かしなくなったことに気づくとき、なぜだか、自分が以前より衰えたような、劣ったような、何かが損なわれてしまったかのような、負のイメージに囚われてしまうことがある。音楽を聴かないこと、前ほど本を読まないこと、文章をあまり書かなくなったこと、ジムに通わなくなったこと、しなくなったことはほかにもいろいろある抑鬱症。
もとより、やめるべき悪い習慣というのは持っていなかった(はずだ)から、過去に「やっていた(やれていた)のに現在はやらなくなった」ことが全て、本当はやった方がよいのにしないのは怠惰なせいだ……と捉えることができてしまうからかもしれない。
それは間違いかもしれないね。
好きでやっていたことは、好きに休んだっていい。必要に感じたりしたくなれば、いつだってまた始めることはできる。だって、好きなんだから。(嫌いになって別れたわけじゃないから、みたいな貸款服務)
それより、以前はやっていなかったけれど今はしていること、以前は興味がなかったけれど今は興味があること、そういうことに注目したらいいんじゃないか。一年後、何かべつのことをしているかもしれない。明日、やりたいことに出会うかもしれない。
そうよ、過去の自分を振り返るばかりじゃなく、時々は過去から今の自分を見てみればいい。そりゃあ、衰えた部分はあろうけれども、おおーっと感心する部分もあるでよ。
実際にはこの倍くらい書いたのだけど、たった今、MacBookのバッテリーが切れて、保存していなかった分は消えてしまった。がーん。 こういうことは変わらずしている。
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